常識という名の罠
最近ショップからのメールで気になったものがあってずっと悩んでいた。
そのメールはHTMLメールで写真多様、テーブル多様である。
ショップからのメールで一番読むところといったら、自分的にはスタッフさんの編集後記である。そう毎週毎週買いたい物があるわけでもないので、商品のところはざっと斜め読みにして、編集後記だけは読むようにしている。(まあ必要なものはショップのトップページに行って検索したほうが早いというのもあるし。)
で、その問題のメールはテーブルが並列で2列あって、左側の大きいテーブルに商品の宣伝、右側の小さいテーブルにも宣伝とあと中ほどの微妙な位置に編集後記があって、いつも探すのに苛立ちをおぼえていた。
Webメールでもポータルサイトやニュースサイトでも右側の細長い領域は広告スペースである。最近はとくに標準化が行き渡ってだいたい同じレイアウトになっている。なのになぜこのメールはその広告スペースに編集後記があるのか。おかしいじゃないか。(まあ全部広告なのにおかしな憤りではある。)
インターネットも最初はいろんなページがあって企業のページは少ないほうで個人がいろいろ工夫したサイトがいっぱいあった。あのころはちょっとさがすのが面倒でもこんなに腹立たしくおもったことはなかったのになぁ。
自分の頭が硬直しているのかも知れないと思ってちょっと愕然とした。
最近の自分の視線の移動は大体決まっていて、テーブルが並列であったら左側の有益な記事は読むようにしているが、右側の広告スペースは無用の物欲を避けるために『見ない』ように訓練されていたのだ。知らず知らず。
で、ショップの有益な情報といったら編集後記である。
編集後記にはそのショップのスタッフさんの日常の情報が書いてあって、中にはいろいろ自分でイベントを企画して書いてくれている人がいる。(まあ中には楽してネットで探してきたような二番煎じの記事を書く人もいてこういう人のはだんだん読まなくなっていくのだが・・・)
で、なんで血圧が上がるほど頭にくるのかつらつら考えていくと、その有用な記事が無駄な広告スペースの中に埋まっているのがどうやら許せなかったらしいのだ。
以前、はじめて名古屋市役所を見たときもそういえば同じような憤りを感じたのを思い出した。
名古屋市役所は最近の建築である。
当然ビルなわけである。
しかし、
屋上に屋根瓦が載っているのである。
はじめてみたとき腰が抜けるほどびっくりした。
まるで背広をきてちょんまげをのっけているような感じなのだ。
許せない。
こんなことがあっていいのか。
年月が経ってあのビルをみても当時のような憤りは感じなくなったが無意識に視線をそらすようになった。(まあ一種のあきらめというか)
常識的にあるべきものから外れているものを血圧を上げて攻撃するようなところがあるんだなと最近思うようになった。
気をつけよう。ボケるのはやいかもしんない。